母校の歩み
明治・大正時代
明治29年 兵庫県神戸尋常中学校校舎(神戸高校の前身) 創立当初の生徒 記念撮影
明治38年(1905年) 11月12日兵庫県第二神戸中学校設立の議県会にて可決
ユーカリ樹(イメージイラスト)
明治39年(1906年) 7月2日兵庫県第二神戸中学校設立認可 12月26日校舎建築起工
明治40年(1907年) 5月16日本校創立事務所を兵庫県第一神戸中学校内に置き、同校校長鶴崎久米一 本校校長事務取扱兼務となる
歴代校長
明治41年(1908年) 1月31日上野可然教諭・友末正夫書記、一中より着任 2月1日一中内に開校準備事務所を設置 4月1日~4月2日第1回入学試験を一中で実施、応募者896名 4月3日合格者308名中、一中へ148名、本校へ160名入学許可 4月4日設置事務所を長田村新築校舎に移す 4月9日入学式 鶴崎校長、本校訓育の主旨について父兄に訓辞、カーキ色制服採用 4月10日授業開始(教諭7名、教諭嘱託1名、教諭心得1名、書記2名) 5月1日野球部開始、撃剣部開始 6月2日武道部剣道稽古開始 明治41年 旧校舎・正門
創立当時の校舎・前景 『質素剛健・自重自治これを貫くに至誠を以ってす』
(質素剛健・自重自治 額)
武陽ヶ原の碑
明治42年(1909年) 3月15日増築校舎竣工 4月10日教育勅語謄本奉戴 創立当時(明治42年頃)の授業風景
明治43年(1910年) 3月15日本校教諭上野可然 校長事務取扱となる(鶴崎校長 第一神戸中学校校長専任となる) 4月23日鹿児島県師範学校長泥谷良次郎本校校長となる 朝礼風景(鶴崎校長時代)
明治44年(1911年) 11月図書部誕生
明治45年/大正1年(1912年) 8月8日校友会武道部内に水練部を置き練習開始
学級日誌
大正2年(1913年) 第一回卒業生 記念撮影
(大正2年3月20日 69名)
第一回卒業生 記念撮影 5月22日対一中野球部戦 4-2 勝(本校校庭) 対一中 野球戦跡表 9月30日対一中野球部戦 2-5 敗(本校校庭)両校全校応援  11月1日又新日報主催神戸野球争覇戦で一中と対戦 2-4 敗(東遊園地) 校庭南側 生徒運動(大正2年撮影)
大正3年(1914年) 4月1日従来の生徒定員600名を800名に増加 8月7日第1回全国中学校野球大会兵庫予選で優勝 8月18日~8月23日第1回全国中学校野球大会出場、対早稲田実業 0-2 敗(豊中球場) 10月27日天皇御真影奉戴 12月29日全校生京都御所拝観 1月11日ロシア皇帝名代ゲオルギー・ミハイエロウイッチ太公神戸港上陸、職員、生徒湊川神社前にて奉迎
第一回全国野球大会出場(大正4年撮影)
大正5年(1916年) 2月5日山田村監那にて発火演習 5月13日東京師範金栗選手徒歩につき講話 5月20日対一中野球試合 6-1 勝 6月24日文学博士物集高見氏講演 10月17日対一中野球試合 6-1 勝 11月3日立太子礼祝賀式 11月8日湊川神社前で天皇奉迎
入学志願者数 旧校舎 北側
大正6年(1917年) 2月1日皇后御真影奉戴式 2月17日多井畑、東須麻にて発火演習 6月2日世界探検家菅野力夫氏講演 9月30日朝来暴風雨、夜に入ってさらに激化、校舎破損、樹木倒壊 12月24日東宮御真影奉戴式 12月26日休暇中5年級課外授業開始 創立当初の校舎(5陽会の頃)川を挟んで 校舎東側 生徒整列(大正6~7年撮影)
大正7年(1918年) 1月10日全校生六甲登山 2月9日白川村にて発火演習 3月教室1棟増築竣工 3月10日石川陸軍少佐講話 4月22日生徒制服に襟章をつけることを決議 5月5日第10回創立記念式 5月6日第10回創立記念運動会 6月15日対一中野球試合 2-2 引分け 本校応援団一中グランドを蹂躙し、以後、対抗戦中止となる 10月30日流行性感冒のため、早退・欠席者合計288名におよび、10月31日から1週間臨時休業と決定 11月7日欠席生徒215名に達したので、さらに11月10日まで休校と決定感冒のため平戸一教諭永眠 11月26日第1次世界大戦休戦祝賀のため、休業して旗行列を行う
大正8年(1919年) 2月16日石屋川にて発火演習 3月3日故李太王国葬当日につき休業 3月13日第7回卒業式 3月14日豊岡中学校長 近藤英也 本校校長となる 10月12日第1回近畿中学校野球大会
 対 和歌山中学 2-1 勝
 対 同志社中学 8-8 引き分け
10月26日全国中学校対抗陸上競技大会に生徒7名 参加 11月8日~11月9日体育協会主催全国陸上競技大会 参加 11月13日西宮にて大演習見学 三六橋(7陽会の頃)
大正9年(1920年) 1月17日本日より25日まで流行性感冒のため休業 入学式 風景(大正9年頃) 5月5日第1回修養総会 6月6日神戸高商主催近畿中学校剣道大会準優勝 7月12日水泳部活動中止(5月末よりコレラ流行、7月には入ってますます広がり神戸港近海一帯海水使用禁止) 9月5日対大阪府天王寺中学校陸上競技を競技場で行なう、以後定期戦とする 10月30日教育勅語発布30年記念式
大正10年(1921年) 4月生徒定員800名を850名に増員 4月22日近藤英也校長 県立第三神戸中学校長に転任洲本中学校長 上野可然 本校校長となる 10月2日第9回扇港野球大会に優勝 10月15日~10月17日六高主催近県中学校野球大会に優勝 11月17日軍艦 「加賀」 進水式見学 新木造校舎(大正10年 9陽会の頃)増築
大正11年(1922年) 3月物理・化学教室増築竣工 4月生徒定員850名を1.200名に増員 5月7日大阪朝日新聞社主催近畿中学校選抜競技大会100m決勝で土居弘雄2位 10月31日教育令頒布50年記念式 11月12日県下中学校柔道大会で準優勝 11月13日摂政宮来神につき、湊川神社前で奉迎 12月21日午後3時銃器室より発火、職員必死の消火につとめ、西消防署ポンプ来たり大事に到らず鎮火 旧体育館(10陽会の頃)
大正12年(1923年) 5月5日第15回創立記念式典 5月6日~5月13日第2回京神中学校対抗野球大会優勝 9月1日関東大震災 9月4日震災義損金募集法につき協議 9月6日本校修養団員主催で職員生徒有志より古着類の寄付を集める 9月7日震災地方中学校生徒収容の件で校長登庁 9月21日震災地方中学校生徒のため、古教科書を集め県庁に発送 10月2日武陽写生会開始
大正13年(1924年) 1月26日東宮御成婚奉祝式、東宮ご成婚記念事業の一つとしてラグビ-式蹴球開始許可 6月15日職員庭球部および生徒柔道・剣道・野球各部の選手、姫路中学校に定期戦のため
 遠征、剣道以外快勝
6月18日4・5年級実弾射撃のため姫路へ、3年級以下遠足 6月26日神戸高商主催関西中学校剣道大会に優勝 10月17日~10月19日六高主催近県中学校野球大会に準優勝
大正14年(1925年) 1月8日海軍少尉 渡辺安次(本校9回生)の海軍講話 2月21日風紀振粛に関する訓示あり、夜、職員は新開地、三宮方面 を視察(以後、度々) 6月20日活動写真「基督の聖地」観覧(於 聚楽館) 11月8日武道殿に於ける県下中学校剣道大会に優勝
大正14年(1925年) 1月8日海軍少尉 渡辺安次(本校9回生)の海軍講話 2月21日風紀振粛に関する訓示あり、夜、職員は新開地、三宮方面 を視察(以後、度々) 6月20日活動写真「基督の聖地」観覧(於 聚楽館) 11月8日武道殿に於ける県下中学校剣道大会に優勝
大正15年(1926年) 8月図画教室・普通教室増築竣工 12月13日図画教室・普通教室増築竣工 12月25日天皇崩御につき校庭で遙拝式(この年対一野球定期戦復活
昭和初期時代
校舎とユーカリ樹(昭和初期撮影)
昭和2年(1927年) 1月1日新年拝賀式は、諒闇中につき挙式せず(以下各祝日式同じ) 2月7日ご大葬儀につき休業、午後6時遙拝式(翌8日も休業) 入学式(昭和2年) 5月5日創立20周年記念式 6月19日対一中野球戦 5-2 勝
昭和3年(1928年) 10月全国選抜野球大会に優勝(御大礼記念博主催) 【この年喇叺鼓隊、バスケットボール部、ラグビー部誕生】 10月9日ご真影奉載式 11月4日全国中等学校優勝野球大会 (阪神博主催) 於甲子園 優勝 旧校舎の雪景色(昭和3年)
卒業生の進学先・就職先(1回生~8回生)
昭和4年(1929年) 4月本校内に兵庫県立第二神戸夜間中学講習場設置 5月5日御真影奉安所竣工 5月12日バスケットボール県大会優勝 6月5日4・5年生徒430名 大阪城東練兵場における御親閲参加 6月7日天皇神戸行幸、全生徒奉迎、夜は堤灯行列 ラッパ鼓隊(昭和4年) 教育課程表(教務要録)昭和4年度
昭和5年(1930年) 8月運動場1,666坪拡張 新運動場落成記念ポスター(昭和5年11月1日) 運動場拡張 昭和5年
(現在の震災前の校舎が建っていたところ)
12月12日教練査閲置
昭和6年(19321年) 1月15日天皇・皇后両陛下御真影奉還 1月23日天皇・皇后両陛下御真影奉載 4月21日靴袋使用し、登校しだい運動靴にはきかえさせる 4月26日第5回県下中等学校籠球大会に優勝 5月12日楠公記念日、楠公精神と二中精神に関して校長の講演 6月16日アイヌ酋長門別光蔵夫妻のアイヌの風俗についての講義 9月16日同志社高尚主催第1回全国中等学校剣道大会に優勝
昭和7年(1932年) 1月10日対神戸一中第一回ラグビー部定期戦(東遊園地) 5月2日大坂YMCA主催全関東西中等学校籠球大会に優勝 6月30日尼崎中学校長吉野平蔵 本校校長となる 7月1日県立第二神戸夜間中学講習所を廃止、県立第二神戸夜間中学校設置 7月17日防空演習(以後度々実施) 9月17日満州事変記念講演 松山中佐「満州事変回顧と国民の覚悟」 10月10日オリンピック大会に関する講演
昭和8年(1933年) 1月12日武道部寒稽古開始 2月2日県主催中等教員相互視察研究会(数学科) 2月28日入学志願者503名中250名合格 5月5日創立25周年記念式(閲団分裂・鼓隊実演・祝賀宴・絵画展・記念講演) 5月6日慰霊祭・運動会・武陽会各陽会懇親会・記念植樹 5月7日記念体育会 剣道部全国大会優勝(昭和8年) ラグビー定期戦(昭和8年)
昭和9年(1934年) 2月11日4・5年生徒 市民運動場の建国精神宣揚大会に参加 1・2年生徒で神戸二中少年団発会式 2月23日皇太子御誕生奉祝 8月6日桑原県学務部長本校校舎を視察、校舎の腐朽を認め改築の要ありと談話 9月2日本校野球部再建について同部先輩団大評定 9月28日風水害義捐金送金法検討 12月本校改築のため武陽会・家庭会を中心に県会に対して猛運動するも、 ついに効を奏せず 昭和9年当時の理事会の方々 旧校舎時鐘(昭和9年撮影) 剣道部(昭和9年撮影) 柔道全国大会優勝(昭和9年撮影)
昭和10年(1935年) 4月23日全校生上沢通7丁目付近に満州国皇帝を奉迎 4月26日楢村博士の結核予防に関する講話 5月1日バスケットボール部 第9回全関東籠球選手権大会に優勝 9月12日5学年生徒 妙法寺川尻で初の終夜演習 9月25日武陽会理事長森崎了三氏 県会議員に当選 12月12日本校校舎改築予算案ついに県会通過 青野ヶ原の宿泊演習(昭和10年撮影)
昭和11年(1936年) 1月6日八田藤四郎教諭、神戸駅にて令嬢見送り中、入営兵見送りの群衆に押され、ホームと列車の間に転落、翌7日午前1時25分死亡 4月20日本校卒業生のための研究科を開講、50名にて開始 25周年 記念行事 登山(昭和11年撮影)
昭和12年(1937年) 3月31日内務・大蔵両省二中改築費474,800円の起債認可 4月本校よりの上級学校合格率全国第4位 4月バスケット部県大会4連場 4月バスケット部全関西大会3連場 4月29日対神戸一中野球部定期戦復活(20年ぶりの復活) 9月11日喇叺鼓隊 大坂中央放送局で演奏 9月第9回明治神宮大会 籠球準優勝 10月31日ラグビー部明治神宮大会で保全商業を破り全国制覇 11月23日器械体操部 第4回西日本男子中学校器械体操選手権大会に 第1部・第2部優勝、個人優勝 11月28日県下中学校射撃大会 団体優勝 昭和12年当時の生徒 体操西日本大会優勝(昭和12年) 篭球神宮大会準優勝(昭和12年)
昭和13年(1938年) 2月28日本校改築地鎮祭 3月30日生徒1,200名を1,250名に増加 4月官公立学校合格者全国第3位 、私立を加えると全国首位に迫る 5月バスケット部県大会に優勝 ラグビー全国制覇(昭和13年) 断然 天下の二中 進学率トップ(昭和13年) 阪神大洪水 元町三越(昭和13年7月撮影) 阪神大洪水 神戸二中前(昭和13年7月撮影)
昭和14年(1939年) 4月24日新校舎定礎式 6月7日新館講堂にて上棟式 武道場(昭和14年)
昭和15年(1940年) 2月24日生徒定員1,250名を1,300名に増加 3月30日県立第一神戸高等女学校長酒井栄太郎 本校校長となる 5月22日青少年学徒に賜りたる勅語奉読式(五位池県工敷地に各中等学校集合) 6月23日器械体操部 関西大会に優勝 8月14日~8月18日関西学院主催関西中等学校蹴球大会に準優勝 8月31日新校舎竣工 9月2日新校舎に移転 授業開始 10月13日兵庫県学務課主催武道大会 柔道部準優勝 10月18日旧校舎惜別式(午後4時) 10月1日紀元2600年奉祝式 12月7日新校舎落成式(武陽会主催、旧職員・武陽会員・在校生の物故者慰霊祭) 12月8日新校舎落成感謝式 (上)改築なった新校舎(昭和15年)
(下)新校舎完成(昭和15年7月 竣工)
昭和16年(1941年) 5月2日英霊遺骨出迎え(以後度々) 5月23日国防博覧会見学 6月16日本校報国団結成式 8月15日本日より防空監視を始める 11月4日体力章検定 12月1日宣戦詔勅奉読、酒井校長訓話、全校生長田神社参拝 12月26日香港占領につき全校生市中行進、神社参拝 双葉山を迎え土俵開き(昭和16年) 土俵開き相撲大会(昭和16年)
昭和17年(1942年)
第二神戸中学校 1月第24回全国中等学校ラグビー大会で準優勝進出 1月23日第24回全国中等学校ラグビー大会で準優勝進出 2月16日シンガポール陥落のため、朝礼にて全校生にて告示 2月18日大東亜戦争第一次祝賀会 2月28日2年高槻工兵隊見学 4月22日敵機来襲につき本校防空体制整備 6月8日1年級長田神社参拝(興亜奉公日) 7月20日~7月30日水練 8月19日3年級宿泊訓練(北条) 9月18日満州事変記念日につき、全校行軍を実施 11月25日善隣協会理事斎藤貢氏講演 12月7日行軍
第四神戸高等女学校 1月29日第四神戸高等女学校 設立認可 1月29日木村伊勢栄 本校校長となる 1月29日県一女・県四女から委員委嘱、入学試験 1月29日第1回職員会議 1月29日入学式 1月29日学校防衛団編成 1月29日兵庫県中学校報国団閲団式100名参加 1月29日校章制定 1月29日制服制定 1月29日園芸用地作業始まる(馬場) 1月29日生徒机・腰掛搬入 1月29日短縮授業後水泳訓練(境浜)(29日迄) 1月29日宿泊訓練(六甲山) 1月29日馬場開墾作業始まる 1月29日第1回体育大会(明石球場) 1月29日開戦1周年 強歩訓練会
国民学校時代の水練(昭和17年) 水泳の指導(昭和17年ごろ) 学徒勤労動員(昭和17年) 第二神戸中学校学徒勤労報国隊(昭和17年) 荒地の開墾(昭和17年ごろ)
軍国主義・国家主義の排除 課外授業 舞子浜付近 農園実習 銃後の女性
昭和18年(1943年)
第二神戸中学校 1月第25会全国中学校ラグビー大会に準優勝進出 1月23日閲団分列式 降雨の中、l行進す 2月16日松竹座にて「海行かば」観覧 2月18日山本元師国葬日につき、黙祷 2月28日水練 4月22日午後6時、警戒警報発令(3日間) 6月8日イタリア無条件降伏について訓話 7月20日~7月30日遥拝の時、喇叺を吹奏する 8月19日卒業生南山氏の声楽、講堂にて催される 9月18日海軍甲種飛行予科訓練生壮行会 11月25日体力検定(本校、垂水間を徒歩にて往復)
第四神戸高等女学校 1月12日授業中オーバー着用許可 3月1日終業式 3月16日~3月17日入学考査 3月26日合格者発表 4月9日入学式・対面式 4月27日明石行事(歓迎遠足) 5月5日防空訓練 6月24日行軍(太山寺ー明石公園) 7月2日2年宿泊訓練(嬉野) 7月22日1年宿泊訓練(嬉野) 7月24日霞ヶ丘開墾開始) 7月28日防空壕堀り 9月6日舞子移情閣(八角堂)と本校とで1.2年交代で授業開始 10月15日第2回体育大会(明石) 10月27日校舎修理完成、本日より舞子授業中止 11月11日行軍(名谷ー鉢伏ー塩屋ー帰校) 11月2日舞子山林開墾開始 11月22日体力章検定行軍(24km) 12月23日西舞子農園812坪開墾完了)
昭和19年(1944年)
第二神戸中学校 1月19日校内防空演習 5月学徒動員の出動命令をうける 7月4日3年・4年は三菱電機に、5年は三菱造船所に出勤 8月17日4126部隊の事務所、本校に移る 9月18日暴風雨のため、相撲土俵の屋根飛ばされる 9月2日三菱電機より器具の一部運搬する 10月5日三菱電機、本日より仕事開始
第四神戸高等女学校 1月7日寒稽古開始 2月このころより朝礼の際かならず待避訓練を行う 3月17日~3月18日総合選抜入学考査 3月26日合格者発表 4月1日待避壕堀り、生徒増加で教室不足になやむ 4月26日明石行事 5月31日学徒勤労動員壮行式参加 7月7日学徒勤労動員壮行式参加 7月8日3年生川崎機体工場入社式(以後終戦まで動員) 9月17日台風高潮襲来(ナスビ全滅、人参、大根大被害) 10月31日第3回体育大会 11月中旬このころより疎開のため、転学生徒各学年次第に増加 10月~12月甘藷・人参・大根・体菜など収穫 12月7日県指令により生徒休業待機、職員学校防衛に当たる 12月2日ノート配給
勤労奉仕 収穫物の分配 空襲での合同避難 防空壕造り
昭和20年(1945年)
第二神戸中学校 1月2日生徒にゲートルをはかせ、防空態勢をとらせる 3月1日校内外壁の塗装、本日より開始 5月21日被爆地金属回収作業に出動(1・2年) 5月29日学校西側焼跡の農園化作業 7月11日テニスコートを職員農場化する 8月15日午後休学 8月17日集会、校長訓話 8月21日新時間表にて授業 9月5日4126部隊解散、引揚完了 9月6日柳原農耕地の作業 9月1日大開農場の開墾作業 10月23日長田警察署を通じ、進駐軍より銃器その他押収される 10月25日本校教諭亀岡寛治 本校事務取扱となる報国団を廃して、校友会設立 11月6日酒井校長、一中校長として転任 11月21日遠足
第四神戸高等女学校 1月19日明石機体工場空襲、3年生徒被害なし 1月22日3年生工場休業のため登校、非常連絡網作製 1月23日寒稽古 2月4日空襲 3月15日総合選抜入学考査 3月17日神戸空襲(罹災生徒多数) 3月22日終業式 3月23日新入学者発表、転学生続出 3月25日~4月2日須磨・兵庫方面焼跡整理に出動 4月7日入学式 途中警報発令 4月14日和敷山学校敷地開墾開始 4月25日3年明石神武報国第二工場入社式 5月11日阪神間空襲(このころより連日警報発令、授業が満足にできる日ほとんどなし) 6月5日神戸空襲 6月8日垂水地区生徒のみ登校作業 6月9日明石工場空襲、生徒無事(22日・26日も) 7月3日このころより授業なく全員農園作業工場も休業多し 8月15日終戦 8月中旬疎開先より転入、地方へ疎開希望者生徒入りまじり混乱 9月4日工場動員終了式 9月2日朝礼、新旧生徒対面式 9月23日~9月30日「連合軍当地進駐のため」県通達により休業 10月8日ズック靴配給 11月23日校庭にて第4回運動会
昭和21年(1946年)
第二神戸中学校 1月15日海軍少尉 渡辺安次(本校9回生)の海軍講話 3月3日風紀振粛に関する訓示あり、夜、職員は新開地、三宮方面 を視察(以後、度々) 5月9日活動写真「基督の聖地」観覧(於 聚楽館) 6月25日武道殿に於ける県下中学校剣道大会に優勝 7月30日~8月3日海軍少尉 渡辺安次(本校9回生)の海軍講話 9月29日風紀振粛に関する訓示あり、夜、職員は新開地、三宮方面 を視察(以後、度々) 10月6日活動写真「基督の聖地」観覧(於 聚楽館) 10月17日武道殿に於ける県下中学校剣道大会に優勝 11月1日海軍少尉 渡辺安次(本校9回生)の海軍講話 11月25日風紀振粛に関する訓示あり、夜、職員は新開地、三宮方面 を視察(以後、度々) 12月1日活動写真「基督の聖地」観覧(於 聚楽館)
第四神戸高等女学校 1月17日下駄配給(453足) 1月18日鉛筆3本ずつ配給 2月8日修身・地理・歴史教授関係書類集める 3月17日~3月18日総合選抜入学考査 3月18日~3月19日学芸会(自治館) 3月23日4年生修了者43名卒業(自治館) 4月5日東須磨小学校へ校舎移転 4月24日遠足 5月15日「校友会誌」第1号発行 7月22日水泳(須磨若宮) 10月1日~10月2日学芸会・展示会 10月23日第5回運動会 11月16日~11月18日5年修学旅行(奈良)
教師、生徒の記念撮影(昭和21年頃) ラグビー国体優勝(昭和21年) 廃墟からの復活(昭和21年)
昭和22年(1947年)
第二神戸中学校 1月6日ラグビー部対福岡中学と優勝戦にて惜敗 2月22日本校校長片山久、教員適格審査委員会より不適格の旨通 知あり 本校教諭亀山寛治、校長事務取扱となる 4月1日兵庫県立第二神戸中学校に第4、第5学年を残し、第2、第3学年を併設中学校に編入 5月22日大洋映画館にて「少年の街」観覧 6月11日全校生、上沢通電車道にて天皇を奉迎する 6月29日芸能大会開催 8月県下中学校大会にて器械体操優勝 9月1日本校教諭三沢諄治郎校長事務取扱となる 10月19日40周年記念運動会 11月28日片山校長、教員適格者たることを確認される
第四神戸高等女学校 2月22日校歌制定「一回生の歌」できる 3月1日送別学芸会 3月4日第1回卒業式(67名) 4月16日4、5年生を文理科にわける 5月7日卓球班・演劇班設立 7月8日ララ物資配給 7月21日水泳(須磨若宮) 9月23日県下ソフトボール大会に優勝 10月19日第6回運動会 11月2日5年修学旅行
校友会誌『青銅』 同窓会誌『うたしき』 校友会 学年親睦 記念リズム体操 記念撮影
昭和23年(1948年)
第二神戸中学校 1月9日始業式、新教育協議会(以後学年末まで月水金放課後実施) 3月4日第2回卒業式(127名) 4月1日兵庫県立第四神戸女子新制高等学校と改称(併設中学校を置く) 5月14日「学校移転につき」臨時職員会議 二中より和田教諭調査に来校 5月15日生徒に移転発表説明 5月17日「学校移転につき」父兄会 5月18日二移転に関する協議会(午後、二中において) 5月22日二中へ移転準備 5月24日移転開始 5月27日移転完了 5月29日両校生徒対面式自治会懇親会ソフトボール試合 5月31日女子便所竣工 6月3日以後同一時刻表で両校授業 6月15日中学共学連絡会 6月21日併設中学3年生の共学実施 6月22日高3修学旅行(白浜) 7月9日高1共学連絡会(17日も)
第四神戸高等女学校 2月22日校歌制定「一回生の歌」できる 3月1日送別学芸会 3月4日第1回卒業式(67名) 4月16日4、5年生を文理科にわける 5月7日卓球班・演劇班設立 7月8日ララ物資配給 7月21日水泳(須磨若宮) 9月23日県下ソフトボール大会に優勝 10月19日第6回運動会 11月2日5年修学旅行
昭和初期時代
雪に舞う校旗【時永劫のうつろいに】
昭和23年(1948年) 8月16日兵庫県立第二神戸高等学校と兵庫県立神戸第四女子高等学校が統合され「兵庫県立兵庫高等学校」(現校名)が発足し、男女共学を開始 男女共学始まる 9月1日授業を開始。 11月29日旧・二中と旧・四女の育友会を統合し、「兵庫県立兵庫高等学校育友会(PTA)」を結成。 新生兵庫高校生徒たち(昭和23年頃) 校歌(武陽が丘のあさみどり)(昭和23年頃) 体育祭応援風景(昭和23年頃) 力走二人三脚(昭和23年頃) 体育祭 組み体操(昭和23年頃) 混声合唱(昭和23年頃39陽会)
昭和24年(1949年) 1月1日高等学校サッカー選手権大会に出場 野球部選抜出場 夏の県大会 準優勝 3月31日併設中学校を廃止。 4月1日高等学校選抜野球大会に出場 4月18日小学区制の実施により、472名が入学。 10月国体に器械体操(個人)出場
昭和25年(1950年) 4月商業科設置 4月1日高校三原則により、商業科を設置し、総合制高等学校となる。 8月全国大会にソフトボール優勝、バスケットボール(男子)、ハンドボール出場 10月国体で、ソフトボール3位となる、器械体操(個人)出場、自転車(個人)1000mタイムトライアルで2位 復活した修学旅行(昭和25年40陽会) 文化祭(昭和25年40陽会)
昭和26年(1951年) 6月全国大会に器械体操出場(以後6年連続出場) 8月4日全国大会にバレーボール(女子、33年まで連続)出場、陸上(個人)出場、自転車(個人)1000m・2000mタイムトライアルで2冠 10月国体にソフトボール、器械体操(個人)、ハンドボール出場 復活マラソン大会(昭和26年41陽会)
昭和27年(1952年) 4月1日小学区制から中学区制に変更される。 4月8日新学区制(中学区制)による入学 10月国体でソフトボール2位となる、器械体操(個人)出場
昭和28年(1953年) 1月全国大会にサッカー出場 10月国体に器械体操(個人)出場
昭和29年(1954年) 1月高等学校ラグビー選手権大会に出場 8月全国大会に陸上(個人)出場 10月国体に器械体操(個人)出場
昭和30年(1955年) 1月全国大会にラグビー出場 4月1日商業科が廃止され、普通科単独校となる。 4月全国高等学校選抜野球大会に出場 8月全国大会でバレーボール女子3位、硬式テニス(個人)ベスト8となる、卓球(男子団体)出場 10月国体に器械体操(個人)、硬式テニス(個人)出場 生徒集会所(食堂)完成(昭和30年)
昭和31年(1956年) 1月全国大会にラグビー出場 8月全国大会で器械体操3位、柔道ベスト8となる、卓球(男子団体)、軟式テニス(個人)出場 本校が国体柔道会場(昭和31年) 10月国体(本県開催)にソフトボール、器械体操(個人)出場 新体育館とスタンド(昭和31年)
昭和32年(1957年) 4月1日生徒定員1400名となる 5月5日創立50年記念式典 8月全国大会に軟式テニス(個人)、陸上(個人)出場 10月国体に本校生史上最多の50名出場(ラグビー、ソフトボール《4位》、女子バレー、フェンシング)
昭和33年(1958年) 1月全国大会にラグビー出場 4月1日県立星陵高等学校長 中田光雄 本校校長に補せられる 生徒定員1450名となる 10月国体に器械体操(個人)出場 第10代の中田光雄校長時代(昭和33年)
昭和34年(1959年) 1月全国大会にラグビー出場 4月1日生徒定員1500名となる 新体育館と校舎全体(昭和34年撮影) 新校舎と校門改修(昭和34年撮影)
ユーカリキャンプ(昭和35年撮影)
昭和36年(1961年) 8月全国大会にバレーボール(男子)、軟式テニス(男子個人)、剣道(個人)、水泳(男子個人)、ハンドボール、山岳出場 バレー部全国大会連続出場(昭和36年) 10月国体に山岳(個人)、柔道(個人)、ボクシング(個人)出場
昭和37年(1962年) 8月全国大会に卓球(男子、団体・個人)、ハンドボール出場 プール完成(昭和37年)
昭和38年(1963年) 1月3日全国大会でラグビー、準々決勝戦進出 4月1日県立柏原高等学校長 姉崎岩蔵 本校校長に補せられる 生徒定員1600名となる 8月全国高等学校総合体育大会(以下全国総体と記す)に軟式テニス(女子個人)出場 第11代の姉崎岩蔵校長時代(昭和38年)
昭和39年(1964年) 4月1日生徒定員1700名となる/span> 6月28日戦前最後の沖縄県知事 島田叡(7陽会)の記念碑除幕式 島田 叡 顕彰記念碑 7陽会 元沖縄県知事 元野球部 8月全国総体で剣道(個人)で準優勝、バレーボール(男子)、軟式テニス(女子個人)、器械体操(個人)出場 9月25日校庭のユーカリの大樹倒れる 10月国体に柔道(個人)出場 ユーカリの大樹倒壊(昭和39年9月25日 台風20号) 第42回全国ラグビー大会(昭和39年)
昭和40年(1965年) 4月1日県立豊岡高等学校長 野崎倉仁 本校校長に補せられる 生徒定員1750名となる 8月全国総体にバレーボール(男子)、器械体操(個人)出場 10月国体に軟式テニス(男子個人)、器械体操(個人)出場 ユーカリの碑?(昭和40年頃 52陽会)
昭和41年(1966年) 3月高等学校選抜野球大会に出場 4月1日生徒定員1650名となる 8月全国総体に軟式テニス(男子個人3組)、陸上(男子個人)、水泳(男子個人)出場 10月国体に水泳(男子個人)出場 校内風景(昭和41年頃 53陽会)
昭和42年(1967年) 4月1日生徒定員1530名となる 5月17日第1回対神戸高校総合(春季)定期戦を本校で行う 8月全国総体にバレーボール(男子)、水泳(男子個人)出場 10月国体に水泳(男子個人)出場 10月9日第1回対神戸高校総合(秋季)定期戦を神戸高校で行う(以後春秋の総合定期戦となる) 野球部風景(昭和42年頃 54陽会) 月日不明年2回(春と秋)の対神戸高校総合定期戦を開始。
昭和43年(1968年) 4月1日生徒定員1440名となる 史上最大の生徒数(昭和43年頃 55陽会) 5月5日創立60周年記念式典 8月全国総体にバレーボール(男子)、卓球(女子個人)、柔道(個人)出場 総合定期線へ発展(昭和43年頃 55陽会) 創立60周年記念行事(昭和43年)
昭和44年(1969年) 4月1日生徒定員1380名となる ラグビー部風景(昭和44年頃 56陽会)
昭和45年(1970年) 4月1日県立芦屋高等学校長 後藤貞夫 本校校長に補せられる 生徒定員1360名となる バレーボール部風景(昭和45年頃 57陽会)
昭和46年(1971年) 4月1日生徒定員1350名となる 4月文部省教育工学研究指定校(2年間)となる 体操部風景(昭和46年頃 58陽会) サッカー部風景(昭和46年頃 58陽会)
昭和47年(1972年) 4月1日生徒定員1360名となる 8月全国総体に卓球(男子、団体・個人)に出場
昭和48年(1973年) 4月1日生徒定員1350名となる 5月4日創立65周年記念式典 5月沖縄復帰特別国体にラグビー5名出場 6月5日県高等学校総合体育大会で男子が初の総合優勝 8月全国総体にバレーボール(男子)、軟式庭球(男子個人)、卓球(男子個人)、陸上(男子個人)出場 卓球全国大会連続出場(昭和48年頃 60陽会) 10月国体に陸上(男子個人)出場
昭和49年(1974年) 4月1日県立明石高等学校長 松田毅 本校校長に補せられる 8月全国総体に陸上(男女個人)、卓球(女子個人)、軟式庭球(女子個人)出場 卓球全国大会連続出場 (昭和49年頃 62陽会) 8月26日生徒集会所竣工 11月5日全日本吹奏楽コンクール 銀賞受賞 12月15日全国学校合奏コンクール(吹奏楽部)佳良賞受賞 現在の学園生活(マラソン大会)(昭和49年頃 62陽会)
第14代の松田 毅校長時代 43陽会 同窓会風景
昭和50年(1975年) 4月1日文部省生徒指導研究推進校・県教育委員会観察指導研究指定校(2年間) 8月全国総体に卓球(女子団体)、陸上(男女個人)出場 10月全国学校合奏コンクール出場(近畿大会最優秀賞) 体育祭(降ろせません勝までは)(昭和50年頃 63陽会)
昭和51年(1976年) 8月1日全国総体に卓球(男子個人、女子団体)出場 11月9日文部省指定生徒指導研究推進校・観察指導研究指定校として研究発表会
昭和52年(1977年) 8月全国総体に卓球(男女団体、男子個人)出場 11月全日本吹奏楽コンクール 銅賞受賞
昭和53年(1978年) 5月5日創立70周年記念式典 8月全国総体に卓球(男女団体、男子個人)、柔道(個人)出場
昭和54年(1979年) 4月1日県立姫路東高等学校長 濱崎賢太郎 本校校長に補せられる 8月全国総体に卓球(女子団体)、軟式庭球(男子個人)出場 11月全国高校合奏コンクール出場
昭和55年(1980年) 5月武陽ヶ原碑建立・除幕 7月高等学校囲碁選手権大会(個人)出場 8月全国総体に卓球(男女、団体・個人)出場 11月全日本吹奏楽コンクール金賞受賞 県教育委員会から「ゆずりは賞」受賞
昭和56年(1981年) 5月23日県教育委員会から昭和56・57年度高等学校教育課程研究校に指定される 8月全国総体に卓球(男女、団体・個人)、水泳(女子個人)出場 全国高等学校囲碁大会に個人戦出場 10月国体にハンドボール2名出場 11月29日「武陽ラガーの碑」除幕式 武陽ヶ原の碑 (昭和56年頃 撮影)
昭和57年(1982年) 4月1日生徒定員1305名となる 8月全国総体に卓球(男女個人)出場 10月国体にバスケットボール(個人)出場
昭和58年(1983年) 3月選抜卓球大会(男女団体)出場 4月1日県教育委員会阪神教育事務所長 田中 豊 本校校長に補せられる 生徒定員1325名となる 8月全国総体に卓球(男子団体、男女個人)、陸上(女子個人)出場 NHK杯全国高等学校放送コンテスト出場 10月国体にハンドボール(個人)、なぎなた(個人)、卓球(男女個人)出場 11月全日本吹奏楽コンクール出場 銀賞受賞 現在の学園生活(体育祭)(昭和58年頃 71陽会) 授業風景(柔道実習)(昭和58年頃 71陽会)
昭和59年(1984年) 3月高等学校選抜卓球大会(女子団体)出場 4月1日生徒定員1345名となる 8月全国総体に卓球(女子、団体・個人)出場 文化祭風景 校門付近(昭和59年頃 72陽会) 学園生活スナップ(修学旅行)(昭和59年頃 72陽会)
昭和60年(1985年) 2月1日60年度学校保健統計調査の実施校に指定される 4月1日県立山崎高等学校長 大西邦夫 本校校長に補せられる 生徒定員1410名となる 8月全国総体に卓球(男女個人)出場 11月国体に陸上(男子個人)出場 兵庫高校 校旗(雪の中)(昭和60年頃 73陽会) 入学式 校門(昭和60年頃 74陽会)
昭和61年(1986年) 4月28日「学校間連携」の研究指定を受ける (昭和61・62・63年度にわたり、県立夢の第高等学校と連携する) 8月全国総体に卓球(女子個人)、陸上(男子個人)出場
昭和62年(1987年) 4月1日「学校間連携」の研究指定を受ける (昭和61・62・63年度にわたり、県立夢の第高等学校と連携する) 8月全国総体に卓球(女子個人)、陸上(男子個人)出場
昭和63年(1988年) 1月小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト最優秀賞(女子)受賞 4月1日県立明石城西高等学校長 岸本 進 本校校長に補せられる 5月5日創立80周年記念式典 8月全国総体に卓球(女子個人)、陸上(男子3,000m障害5位入賞)出場 新校舎 風景(昭和63年 撮影)
平成時代
平成元年(1989年) 3月31日「一年のあゆみ」創刊号発行 10月21日全日本吹奏楽コンクール金賞受賞 県教育委員会より「ゆずりは賞」受賞
平成2年(1990年) 4月1日生徒定員1363名となる 4月10日創立80周年記念映画「武陽ヶ丘のユーカリ達」完成 10月24日体育館竣工 10月27日全日本吹奏楽コンクール銀賞受賞
平成3年(1991年) 1月全国総体、国体にフィギュア・スケート(女子個人)出場 4月1日生徒定員1298名となる プール・部室棟竣工 8月全国総体に陸上(男子個人)出場体育館竣工 10月国体に陸上(男子個人)出場 生徒会肢体不自由児協会への募金活動より「のじぎく賞」受賞 11月「保健体育優良校」として全国表彰を受ける 小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト最優秀賞受賞(女子)
平成4年(1992年) 4月1日生徒定員1228名となる 7月NHK杯全国放送コンテスト出場 8月新校舎第一期工事竣工 学校週5日制開始(月に1回第2土曜日を休業日とする) 新校舎 風景(平成4年 撮影) 10月全日本吹奏楽コンクール銀賞受賞
平成5年(1993年) 4月11日生徒定員1160名となる 8月5日全国総体にソフトテニス(男子個人)、卓球(男女個人)出場 10月22日全日本吹奏楽コンクール銀賞受賞 11月9日新校舎竣工式 新校舎 風景(平成4年 撮影) 12月全国高等学校放送コンクール奨励賞受賞
平成6年(1994年) 4月1日生徒定員1160名となる 8月5日全国総体にソフトテニス(男子個人)、卓球(男女個人)出場 10月22日全日本吹奏楽コンクール銀賞受賞 11月9日新校舎竣工式 12月全国高等学校放送コンクール奨励賞受賞
平成7年(1995年) 1月17日兵庫県南部地震発生、新校舎一部崩壊 2月7日まで臨時休校 近隣住民の避難所になる(体育館、柔道場、剣道場、普通教室、一部特別教室、グラウンド)避難住民約2500名に達する 1月28日与謝野文部大臣視察のため来校 2月8日近隣の高等学校を借りて授業再開(1学年は県立神戸甲北高等学校 2学年は県立鈴蘭台高等学校) 3月1日県立鈴蘭台高等学校にて卒業式挙行 3月16日県立鈴蘭台高等学校にて入学者選抜学力検定実施 同校にて合格発表 3月31日文部省指定「平成6年度教科書研究指定校」研究終了 感謝状受領(文部省初中局長) 4月1日生徒定員1120名となる 4月10日県立鈴蘭台西高等学校第二グラウンドに本校仮設校舎を設置、授業開始 同日、本校講堂にて入学式挙行(避難住民950名) 6月5日第3学年本校に復帰(避難住民600名) 8月全国高等学校総合文化祭(以下全国総文と記す)に弦楽部出演 9月26日第1・2学年本校に復帰(避難住民50名) 10月28日全日本吹奏楽コンクール銀賞受賞
平成8年(1996年) 2月14日避難住民全員退去し、県立兵庫高校避難所解消する 3月28日高等学校選抜卓球大会(女子個人)出場 4月1日県立鈴蘭台西高等学校長 石井邦道 本校校長に補せられる 生徒定員1040名となる 5月30日災害復旧工事(プール、自転車置場等新設、校舎棟等復旧)完成 7月28日高等学校囲碁選手権大会に出場 8月全国総体に卓球(男子個人)、陸上(女子個人)出場 10月26日全日本吹奏楽コンクール銀賞受賞 11月8日災害復旧追加工事(部室棟新築、体育館、校舎補修)完成
平成9年(1997年) 3月21日自転車置場等改修工事(校舎、部室棟の模様替え、自転車置場新設)完成 4月1日生徒定員1000名となる 7月28日高等学校囲碁選手権大会出場 10月国体に馬術(男子個人)出場
平成10年(1998年) 1月16日伊勢呂文部省審議官視察のため来校 2月4日青少年読書感想文コンクール全国大会入選(女子2名) 4月1日県立芦屋南高等学校長 藤原周三 本校校長に補せられる 生徒定員960名となる 4月8日四綱領碑除幕式・「武陽の杜」第一期工事竣工式・90周年記念植樹式 5月5日創立90周年記念式典
平成11年(1999年) 8月創立90周年記念式典
平成12年(2000年) 1月15日震災記念プレート設置 高等学校文化連盟将棋新人大会に出場 2月24日上海市松江二中との姉妹校調印 4月1日県立須磨友が丘高等学校長 三宅秀一 本校校長に補せられる 45分・85分の授業実施 県教育委員会から平成12・13年度体験活動推進モデル校の指定を受ける 7月24日上海市松江二中教員団団長 喬世偉校長来校、以降隔年に来日 8月全国総文に囲碁、将棋出場 全国総体に陸上(女子個人)出場、七種競技4位入賞 10月6日第1学年野外活動で大山登山中、午後1時30分鳥取県西部地震発生、生徒負傷者なく、無事下山
平成13年(2001年) 2月高等学校文化連盟将棋新人大会出場 8月全国総体に陸上(女子個人)出場 全国総文に将棋出場
平成14年(2002年) 1月全国総体、国体にフィギュア・スケート(男子個人)出場 高等学校文化連盟将棋新人大会出場 3月26日松江二中訪問団、同中学校を訪問、以後隔年に訪問 4月1日学校週5日制、45分・90分授業実施 文部科学大臣から平成14年度学校保健統計調査実施校に指定される 8月8日全国総文に将棋出場
平成15年(2003年) 1月29日国体にフィギュア・スケート(男子個人)出場 2月12日元最高裁判所長官 山口繁氏の講演 4月1日県立夢野台高等学校長 阪本勝彦 本校校長に補せられる 生徒定員920名となる
平成16年(2004年) 3月20日全日本アンサンブル・コンテスト(吹奏楽部)出場 4月1日生徒定員880名となる
平成17年(2005年) 4月1日県教育委員会事務局体育保健課長 吉井和明 本校校長に補せられる 生徒定員840名となる
平成18年(2006年) 1月26日全国総文に将棋(女子個人)出場 3月31日テニスコート防球ネット嵩上工事完成 4月1日県教育委員会事務局教育研修所長 坂田正人 本校校長に補せられる 8月全国総体に山岳部(女子団体)、ゴルフ(男子個人)出場 全国大会に将棋(男女個人)出場
平成19年(2007年) 3月危機管理マニュアル(危機管理・防災)作成 3月27日昇降機(エレベーター)設置工事完成 8月高等学校竜王戦全国大会に出場(男子個人)
平成20年(2008年) 5月5日創立100周年記念式典
平成22年(2010年) 4月1日 総合科学類型を設置。